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山陰知名度向上委員会
   【 第12回 】 山陰知名度向上委員会

 

  【  八雲風穴  】 

  ( やくもふうけつ )

       

 

【 小さな不思議な避暑地 】


島根県出雲市佐田町朝原。

「 八雲風穴 」は寺院「 福泉坊 」のすぐ隣にあり、

パワースポットでも有名な、佐田神社近郊にあります。

 

※「 寺院福泉坊 」  ※「 佐田神社 」




今回は、たまたま・・・。

奥出雲町まで行った帰りの道路脇の看板に、

「 天然クーラー 」「 天然の冷房 」と書かれてあった事に目を引かれ、

ふらふら~と導かれる様に向かって行ったのです。


この日は、平成29年 8月 6日(日)。

台風が近づいている影響か、朝から直ぐに30℃を超え、

日中に至っては、35℃も越えています。

「 暑い!! 」「 暑いなんてもんじゃない・・・!! 」

 

深い山々を車で程なく走ると、「 八雲風穴 」に到着しました。


 ※ 予想以上に来場者の人々の多さに、ビックリ・・・しました。


これは? いったいどうゆう施設なんだ??
予備知識の無いまま、入場料(大人200円)を支払って施設内に突入しました。


施設内に入ると、地下へ階段で降りて行く様になります。
大きな扉を開いて、入った瞬間から「 ひんやり 」とした空気に包まれます。
地下3Fまであります。


階段を下って降りて行けば行く程、冷気が漂い。
「 おお~ 涼しい~ 」と思わず声に出る程です。







〈 歴史 〉

およそ約500年前、「 寺院福泉坊 」開山当時から、冷風を発する地域として、

「 清涼山 」と呼ばれていたようです。

太古の昔、約1500万年前頃のこの辺りがまだ海だった頃に、

火山爆発で海中に流出した溶岩が急速に冷やされて堆積(たいせき)して山となり、

現在の地形になったと言われているようです。

その岩と岩との間を流れる空気の対流により、風穴から冬季の冷えた外気を吸い込み、

地下の岩石が冷却されます。

春から夏にかけてその冷却された空気が、岩の隙間から地表に流れ出す為と言われています。



〈 風穴の利用 〉

明治36年頃、穴を掘り石垣を築く。

年間を通して地上では10℃前後、地下層で5℃前後と温度変化が少ない事から、

一時貯蔵庫として利用されてきた様です。


大正末期から昭和初期 ~ 蚕の卵を冬眠保存。

昭和初期 ~ 国有林の樹種の保存。

昭和中期 ~ お茶の保存。

昭和後期 ~ 林産物集出荷施設として、地域の特産物を保存。

 

 ※ 今回入場した際には、地元地酒清酒が保存してありました。




それ程広いとは言えない施設内ですが、次から次へと
上から・・・下から・・・人の往来が在りました。
皆さん良くご存じなのですね。





この施設を出て裏手に回ると、石垣で出来た広場があります。
近くに寄っただけで、足元から「 ス~~っと 」冷気が漂って来ます。

石垣に近づいてみると、石垣の石と石の間から、冷風が吹き抜けています。
上を見上げてみると、沢山の木々で陰になっている事もあり、
石垣に座っていると、本当に涼しいです。
灼熱の真夏の太陽を遮り、足元からはとても冷たい冷風が流れます。
まさに・・・ 別世界です。

しばらく座っていると、35℃を超える真夏の猛暑などすっかり忘れ、
さらに時間も忘れ。
ボォ~とした世界に入り込みます。
これこそは、知る人ぞ知る・・・小さな避暑地です。



もうそろそろ残暑も終わり、初秋へと向かいます。
まだ行った事のない方は、是非来年の夏に予定をして行ってみて下さい。
相当暑い、猛暑日が狙い目かも・・・・!?。



〈 八雲風穴施設データ 〉

■入場料

中学生以上 200円  小学生 100円

一度入場料を支払えばその日一日は、何回でも入場・退場が可能です。

■開園期間

ゴールデンウイーク

7月中旬頃から ~ 9月中旬頃まで。

■開園時間

午前9:00 ~ 午後17:00まで。

■定休日

期間中は無休。

■駐車場

無料駐車場あり。

 

 ~ 追記 ~

駐車場近くに、「 福寿水 」と言う地下水が湧き出ている小さな施設があります。
島根名水100選の一つで、この風穴現象を起こしている地下水が、
湧き出たものだそうです。
この水を飲用すると、とても長生きが出来る!!と伝えられる。
その様に??書いてあります。
お試しあれ・・・。






それではまた・・・次回記事でお逢いしましょう。

 

 

 ※ 出雲観光協会公式ホームページ

 

   記事・編集・画像  : 山陰知名度向上委員会(K)

   文献参考      : 八雲風穴公式ホームページ

   参考            : 出雲観光協会

 

   【 平成29年  8月 】













 
 





  【 第11回 】 山陰知名度向上委員会

 

  【  一畑寺  】 

   ( いちばたじ )

       

【 霊験あらたかな薬師寺 】

 



島根県出雲市小境町。

島根半島中央部、一畑山の標高200m程山上に位置します。

昔より、医王山としてあり。

「 目の御薬師様 」 ・ 「 子供の健康無事成長の仏様 」として

地元では、「 一畑薬師 」(いちばたやくし)と呼ばれる大変有名な薬師寺です。

 

※ クリックすると大きくなります。



目に病を患われた方だけでなく、「 心の目 」・「 御縁の目 」にも良いとの事。

山陰地方だけでは無く、全国各地から沢山の方が参拝されている様です。




地元では、子供が生まれると

「 二歳児詣り 」と「 四歳児詣り 」を行う風習が色濃く残っていて、

実際に、私も・・・そして私の子供も・・・お詣りさせて頂きました。


子供の健康や無事な成長を願わない親は、・・いない訳で・・・。

皆さんがお詣りするのも人情でしょうね。

そろそろ今度は、孫を連れて・・・、

お詣りに来る事になりそうなので、久しぶりに登ってみました。



 




〈 巡礼 〉

 

・出雲十大薬師霊場 第1番   ・ 出雲國神仏霊場 第3番

・出雲観音霊場 特別札所    ・ 中国観音霊場 第26番

・百八観音霊場 第31番

 

麓から本堂までの道のりは、約1,300段余りの石段(参道)を登ります。

毎年10月頃には、この石段を含めたマラソン大会も開催されていて、

この時期の一畑寺の風物詩ともなっています。

※ クリックすると大きくなります。


この石段・・・この季節・・・濡れていたり、落ち葉が多かったりして、

特に下りは、滑って転びそうになりますので要注意です。

しかし。

山頂まで続く、車道と大きな駐車場もありますので・・・車で行けます・・・ご安心を。

 

     ※ 古参道入り口。          ※ 1,300段程続く。


11月の後半に入り、すっかりと紅葉の景色になりました。

一日一日と冬に向けての気配と香りが致します。

 





〈 一畑 〉

 

「 一畑 」と言う名の由来は、この地の地名で薬草畑の番号とされています。

大畑・中畑・小畑・薬師畑・後畑・・・などの地名も残っており、

古くから薬草畑での薬の栽培が盛んであったとされています。

 

「 一畑 」で栽培されるお茶の葉と、薬師堂の井戸から汲み上げられた御霊水で

「 お茶湯 」(おちゃとう)と言われるお茶を頂く事が出来ます。

「 徳利 」にお茶を入れて、500円で持ち帰る事も出来ます。

お土産にどうぞ。

 


※お茶湯徳利。

※お土産店にある、一畑饅頭。

 

 

〈 一畑寺の縁起 〉

 

創開は、平安時代 寛平6年(西暦894年)とされています。

千百年以上の歴史があります。

過去の領主である、尼子家・毛利家・京極家・松平家と

それぞれに関わりがあり、寺領の寄進をされたとの事です。

 


※百八基の灯篭が並ぶ、参道。

※本堂内部。



大正4年には、出雲市からこの一畑口までの電車が開通しています。

その後、昭和3年には一畑口から北松江駅(現在の松江しんじ湖温泉駅)まで開通されました。

この電車は、現代の平成時代にも現役で利用されていて、「 一畑電車 」として

市民の足として活躍しています。

この「 一畑電車 」は映画などでも有名ですが、電車ファンにも有名で、

線路脇での写真撮影など・・・沢山の方がカメラを持って構えておられますよ。


 

話が逸れましたが、


今からおよそ千百年前、与一(よいち)という漁師が盲目の母親と暮らしていました。

ある漁の日、海から金色に輝く薬師如来を引き上げます。

そのまま与一は自分の家に安置して、礼拝していました。

そのうち不思議なことが相次いで起こり、夢で薬師如来のお告げを受けます。

「 あなたの信仰心の深さを示すため、あの百丈が滝から跳び降りなさい。母親の眼は治ります。 」

与一はお告げ通りに、千把の藁(せんばのわら)を身に纏い跳び降ります。

気が付くと与一は大きな石の上に安座しており、怪我一つありません。

身を案じて無我夢中で駆け寄った母親の目は、しっかりと見開いていたという事です。

                              ( 出雲観光ガイド記事参照 )

 


※御霊水場の天井絵。

※補然和尚像

 

昔話には、事実はどうあれ・・・何か?・・・を後世に伝えようとしている事があります。

現代では、世界中の「事実」のみが一瞬で見聞きする事が出来ます。

そして、「事実」のみを綺麗に保存して置く事も出来ます。

現代の生活の中では、昔話や御伽話などを見聞きする機会はあまりありません。

この与一の昔話は、何を?伝えようとしたのでしょうね?。

一人一人の「 想い 」によって違うのでしょう。

 

その後与一は、比叡山延暦寺に出家し、「 補然 」(ほねん)と名を改め「 医王寺 」として

お寺を開きました。

千百年余りも続く「 一畑寺 」の始まりとされています。

 

           ※ 一畑寺(一畑薬師本堂)全容。





記事を書く私は、特別な信仰家でも宗教家でもありませんが、今も昔も

自身や家族の健康を願う気持ちは、変わらないのですね。

 

 ※ 山上からの景色。






 ~ 追記 ~


平成28年 10月 21日(金) 午後2時7分頃。

鳥取県中部を震源とする、マグニチュード6.6と推定される地震が発生しました。

鳥取県倉吉市などを中心に、様々な被害が発生しました。

一ヵ月余りが過ぎても、屋根にブルーシートが張られている民家は沢山見受けられます。

年末も近づき・・・。本格的な冬も近づいています。

一刻も早い完全復興を心より願っております。

もちろん今回の、一畑薬師にて被災者の皆様のご健康を御祈りしております。

県外の皆様には何も心配は要りませんので、是非、山陰各地への観光を楽しむために

足をお運び下さい。「 鳥取県は元気です。 」


 

 

それではまた・・・次回記事でお逢いしましょう。

 

 

 

   記事・編集・画像  : 山陰知名度向上委員会(K)

   文献参考・協力   : 出雲観光協会

   参考          : 公益社団法人 鳥取県観光連盟

 

   【 平成28年 11月 】

 





 ※出雲観光協会公式ホームページ


※(公)鳥取県観光連盟公式ホームページ





 



 


 



  【 第10回 】 山陰知名度向上委員会

 

    【 赤瓦 ・ 白壁土蔵群 】 

    ( あかがわら・しらかべどぞうぐん )

       

 【 倉吉打吹玉川伝統的建造物群保存地区 】



鳥取県の中間地に位置する、鳥取県倉吉市(伯耆国)を代表する打吹山(標高204m)。


山名時氏(やまなときうじ)の居城として、打吹城(うつぶきじょう)を
築いた山です。

因幡国(いなばのくに)(鳥取県東部)と伯耆国(ほうきのくに)(鳥取県西部)の

堺に位置した事もあり、両国の交通の要であり、商工業の盛んな地として栄えたとされます。

現在の打吹山には城跡が残っています。





打吹山のお膝下、城下町の玉川沿いには武家屋敷や多くの陣屋・商家が整備され、

江戸末期から、明治 ~ 大正 ~ 昭和期に建てられた建物が

今尚、数多く残っており当時の面影を垣間見る事が出来ます。

赤瓦(石州瓦)に漆喰壁(白壁)が連なり、黒の焼き杉板が長く続き、沢山の石橋がある・・・。

大きなこの街を歩くと・・・独特な景観が続きます。

ともすれば「 タイムスリップ 」でもしたかの様な、不思議な空間を体感出来るでしょう。

風情のある街並みを歩き、静かでゆったりとした時間が流れます。





                      ( 拡大可 )



今回の「 山陰知名度向上委員会 」は、


文化庁選定「 倉吉打吹玉川伝統的建造物群保存地区 」を歩いてみましょう。

伝統的建造物群とは、文化財として価値が高い歴史的な集落や街並みを指します。

この倉吉市、白壁土蔵群の街並みは他にも、

「 重要伝統的建造物群保護地区 」

「 かおり風景 100選 」

「 美しい日の本の歴史的風土100選 」


などにも選定されている様です。






    〈 倉吉淀屋 くらよしよどや 〉

1760年(宝暦10年)建築。

倉吉市指定文化財。

倉吉市の現存する最古の町屋建造物です。


米穀物商や木綿を中心に様々な取引で財をなした豪商「 牧田家 」の旧家となります。

8代目(1895没)が亡くなるまで続いた、倉吉市を代表する商家です。

跡継ぎが無く、牧田家は無くなってしまった様です。


大阪淀屋橋でも有名な大豪商「 大阪淀屋 」は、その財力の繁栄が余りにも過ぎた事から

幕府により領地、財産没収・大阪所払いとなります。

その時の淀屋番頭が「 牧田家 」ではないか・・・? とされています。

倉吉の地に逃れ着き、財を築いた牧田家の3代目次男が、大阪淀屋の再興を果たします。

淀屋の跡地に屋敷を構え、同じ「 淀屋 」の屋号を称します。


大阪淀屋とこの牧田家との深い繋がりと関係がある事は、この「 旧牧田家住宅 」の

改修・保存を改めて始めてから、様々な資料・文献を発見し、現在も調査中との事でした。

歴史的な繋がりは、面白いものですね。

 

「 旧牧田家 」のこの町屋は、釘を一切使用しない木造軸木組みと言うのでしょうか・・・?

数奇屋風書院造りで、是非とも必見です。






では、続いて街並みを歩いてみましょう。


〈 元帥酒造本店 げんすいしゅぞうほんてん 〉
(赤瓦七号館)

 嘉永年間創業。

 倉吉の地酒「 元帥 」の製造・発売元。


〈 桑田醤油醸造場 
    くわたしょうゆじょうぞうじょう 〉
  (赤瓦六号館)

  明治10年(1877年)創業。


〈 高田酒造 たかたしゅぞう 〉

 主屋は天保14年建造の造り酒屋。

 地酒「 此君(しくん) 」 

  の製造・発売元。


〈 弁天参道 べんてんさんどう 〉

 淀屋清兵衛や牧田家ゆかりの寺、

  大連寺へ続く小路地。


〈 赤瓦一号館 〉

 大正時代建造。

 桑田醤油醸造場の原料蔵と仕込み蔵でした。

 現在は、お土産販売やギャラリー・工房など

  に使用されています。

 


〈 わいんショップ ワイン蔵 〉

 西日本地域を中心とした、

  国産ワインのみを販売。

 一部、試飲も可能です。


 〈 俳人 河本緑石記念館 
        かわもとりょくせききねんかん 〉





〈 大岳院 だいがくいん 〉

 

1605年(慶長10年)開創。

「 南総里見八犬伝 」のモデルと言われる。

安房国(千葉県)館山城最後の城主、里見忠義と殉死した8人の家臣(八賢士)

が埋葬されています。

29歳の若さでこの世を去った、里見忠義は、この倉吉の地で8年間在住していたとされます。






〈 旧国立第三銀行倉吉支店 〉
(赤瓦十六号館)

 明治41年建造。

 擬洋風の土蔵造り銀行建築。

 現在は、洋風レストランとして使用されています。




〈 昭和感たっぷりの看板達 〉

よく今まで・・・保存出来ていたな~と思います。



3時間程度あれば、この街並みをゆっくりと散策する事が出来ます。

現代、平成の世で時間に追われながら過ごす毎日の皆さんにも、

時間を忘れ、時代を超えて、日常とは全く違う空間の中で

趣向の異なる一日を過ごしてみては如何でしょうか。






~ 追記 ~

打吹山近辺でのお土産と言えば・・・
「 打吹公園だんご 」です。
甘すぎず、酒党の私でも大変美味しく戴けます。
あくまで記者(私)個人の感想ですので・・・あしからず。

 






それではまた・・・次回記事でお逢いしましょう。

 

 

 

   記事・編集・画像  : 山陰知名度向上委員会(K)

   文献参考・協力   : 倉吉観光マイス協会

   参考協力          : 公益社団法人 鳥取県観光連盟

 

   【 平成27年 11月 】


 
 
 







 








  【 第9回 】 山陰知名度向上委員会

 

  
【 三徳山三佛寺・投入堂 】 

  
( みとくさんさんぶつじ・なげいれどう )

       



         【 日本一危険な国宝 】


    



初秋を迎えた山陰地方の好天が続いた、週末に(9月27日(土))

鳥取県のほぼ中央部に位置する、三徳山投入堂を目指して向かいました。

鳥取県東伯郡三朝町三徳 と言う住所になります。

《 三朝温泉 》と言えば、有名な湯治場ですからご存知の方も多いかもしれません。



三徳山(標高900m)はその全体が境内とされていて、(名勝・史跡指定)

修験道の行場として開かれ、山岳信仰の霊地として古くから開けていたとされます。


( 開山は慶雲3年(706年)とされています。 )



修験道の基礎を築いたとされる「役行者」(えんのおずの)により、

三枚の蓮の花びらを「神仏の縁のある所へ飛ぶ様に」と飛ばされた処、その1枚が

この三徳山へ舞い降りたとされ、その後、修験道の行場として開かれた。

とする伝説が始まりのようです。

後の2枚は、伊予石槌山と奈良吉野とされます。




では、早速入山してみましょう。


しかし、三徳山への入山は細かく注意事項が決められています。

 ◇ 受付時間 8:00~15:00

◇ 入山料 大人600円 ・ 小人(中学生まで)300円

◇ 2名以上での受付で入山可能。(滑落の危険性などから1名では、不可)

◇ 登山靴(スパイク不可)・運動靴・ワラぞうりでの入山必須。

( 入山時の服装・靴などは細かなチェックを受けます)

◇ 火気類の持ち込みは禁止。

◇ 雨・雪などにより入山制限あり。

( 実際に入山すると判りますが、登山道の様な道はありません。道無き道を進み、

岩場などが多いので、非常に良く滑ります。実際に滑落する方も沢山おられる様

 なので、装備は十分にした方が良いでしょう。)




 


 (拡大可)


受付を済ませ。

ここから「 投入堂 」まで往復約 1時間半 ~ 2時間程度の修行の旅が始まります。

入山はあくまでも「 修行の場 」です。

不慮の事故や滑落事故など無い様に、服装・靴などは厳しくチェックされます。



本堂三佛寺は天台宗の古刹で、

嘉祥2年(849年)慈覚大師円仁が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三仏を安置して

「 三佛寺 」と号したとの伝承によります。

   本堂 「 三徳山三佛寺 」

(鳥取県指定文化財)
    「 宝物殿 」
 


本殿裏にある入山事務所で、2回目のチェックを受けます。

ワラジ(藁草履)に履き替えされる方もおられる様で、販売しています。

此処で、

「 六根清浄 」と書かれた 「 輪袈裟 」(わげさ)を肩から掛けて、出発です。




   「 注連掛杉 」(しめかけすぎ)      「 宿入橋 」



一応「登山道」・・・と言うべきか?

道無き、急斜面を進みます。

 
 


「 役 小角 」 像を発見!!


 
~《 役小角 》(えんのおづの) 尊称(役行者) ~

舒明天皇6年(634年) - 大宝元年(701年)(伝)

飛鳥時代から奈良時代の呪術者。

大和国(現在の奈良県御所市)に生まれたとされ、修験道の基礎を築いたとされます。

実在の人物ですが、人物像は後世の伝説によるところが大きく、その生涯は伝承により

伝えられた人物です。

正式な古歴史書に登場するのも、没100年後以降頃のものと考えられています。

■「鬼神を使役することが出来、水を汲ませたり、薪をとらせたりした。

もし鬼神が彼の命に従わなければ、彼らを呪縛した。」

(前鬼・後鬼を従えた絵像が有名)

■「流刑先の伊豆諸島より、毎晩海上を歩いて富士山へと登って行った。」

(富士山麓の御殿場市にある青龍寺を建立したとされる)

など、伝説的な部分が長く伝承されている様です。



  「 文殊堂 」

(国の指定重要文化財)
室町時代後期。
永禄年間(1500年代)に
再建されたとされる。
 
「 クサリ坂 」 

と呼ばれ、
文殊堂の脇を、
鎖を頼りに、
這い上がって岩場を
登らなければ
なりません。
体力勝負!!
 


 「 文殊堂からの眺め 」

高所恐怖症の私は、・・・
これ以上は、
奥へは進めませんでした。
高所危険です。
  

「 地蔵堂 」

(国の指定重要文化財)
室町時代後期。
天文年間(1500年代)
に再建されたとされる。







 


 「 鐘楼堂 」(しょうろうどう)

合掌
鐘ひとつ
合掌
の順です。
 「 牛ノ背 」
「 馬ノ背 」

と言われる通り。
足元はかなりな不安定感です。
前日に雨などあれば、
ズルズルです。
気の休まる道はありません。



此処まで来ると、修行の道ももう僅かです。



 「 納径堂 」

平安時代後期。
(国の重要文化財)

 「 観音堂 」

正保5年(1648年)
鳥取藩主 池田光仲により
再建と書かれています。
(県指定文化財)
 
 岩の中にすっぽり・・・と
入っています。
観音堂前は絶壁なので、
裏手の岩の中を回って
進みます。

 「 元結掛堂 」

(県指定保護文化財)


いよいよ「 三徳山 」開山1300年の歴史を物語る、頂上です。

日本建築史上他に類を見ない特異な建造物と言われます。

正面・側面共に入り口らしき物は無く、

崖伝いに堂の床下を潜って、背面から縁に這い上がるとされています。

もちろん一般の立ち入りは禁止されていて、

この写真の位置から拝見するだけです。

修験道の開祖「 役小角 」がその法力で、建物ごと平地から投げ入れた。

とされる伝説から、「 投入堂 」の名称が付いたとされています。

正面幅 5.4m、 奥行幅 3.9mとされ、

現存する神社本殿形式の建築物では、日本最古級であると証明されています。

現在は、鳥取県主導により「ユネスコ世界遺産」への登録を目指して活動を

されています。

可能な限り早く、登録される事を心より願っております。


 


国宝:重要文化財 「 投入堂 」(なげいれどう)・・・その姿です。




 


近くへ行けば行くほど、崖が急勾配になっていて、立ってはいられません。

写真を撮るにも、座り込んで撮影しました。

正に、「日本一危険な国宝」と言う他無いですね。


真っ先に思うのは、やはり・・

「 当時、どうやってこのお寺を建てたの?? 」・・・です。

総てが、伝承による語り継ぎでしか判っていないこの「投入堂」。

それはこのまま、謎は謎のまま、

この先の時代にも伝承により長く繋いで頂きたいものです。 



「 投入堂 」まで到達すると・・・「 総ての邪念が無くなる 」などの
 

話を聞いていましたが。・・・さて?さて?・・・。

 下山する事にしましょう。

登りより下りの下山が余程危険ですから、相当に注意下さい。





 ~ 追記 ~

今年、三徳山三佛寺本堂では、

慈覚大師円仁千百五十遠忌 ・ 三朝温泉開湯八百五十年記念 ・

国立公園三徳山指定記念などを記念して、

平成26年7月18日(金)~10月18日(土)まで。

秘仏とされる「 阿弥陀如来 」像を特別一般公開されていました。

運良く我々は、その期間中に参拝出来ました事は、

大変貴重で、大変運が良かったです。

本堂正面には

「 千二百年間 二度目の秘仏開扉中 」と書かれていました。

凄いですね・・・千二百年の間で、二度目ですよ・・・!!。

これを聞いて悔しがる方々へ朗報です。


平成26年10月26日(日)~ 平成27年1月18日(日)までの間、

「 観音堂 」のご本尊とされる、「 十一面観世音菩薩 」像の

特別一般公開が行われています。

次は、何千年先になるか・・・判りませんよ。

行くなら今だ!!。



 
特別の特別です。
ご覧下さい。
(平安時代作とされます)
 





~ 三朝温泉 ~

ここまで来て、三朝温泉に寄って行かない理由はありません。

三朝温泉開湯850年記念の下期イベントとして、

2015年3月までは、様々なイベント企画がある模様ですよ。

この秋から冬に掛けて、一押しの湯治場です。

チェックして置きましょう。

もちろん我々も、三朝温泉&食事を楽しんで帰宅しましたよ。





 
   公式ホームページ
 ◆ 三朝町役場
     公式ホームページ







それではまた・・・次回記事でお逢いしましょう。




■ 記事・編集・画像 : 山陰知名度向上委員会(K)

■ 画像・協力    : 山陰日酒販登山同好会

■ 記事・協力    : 三朝町役場企画観光課情報発信室

■ 記事・協力      : 三朝温泉観光協会 : 三朝温泉旅館共同組合


■ 【 平成26年 10月 】







 








  【 第8回 】 山陰知名度向上委員会

 

  【 奥出雲・玉峰山 】 ( おくいずも・たまみねさん )

       

       
      【 しゃくなげの花 】

       「 2014年 5月 」






山陰地方も、この5月ゴールデンウイークを明けて、各地域の田植え作業が

本格化し始める頃になり、山々にも鮮やかな新緑の季節が帰って来ました。

(このHP記者も冬眠からやっとゴソゴソと動き出しました。)

 

今回訪れましたのは、島根県奥出雲町の「 玉峰山森林公園 」です。
 


島根県松江市より、車で1時間少々・・・広島県と鳥取県との


県境に位置する町になります。
 

自然のままの原風景が多く残り、清清しい森林浴が各所で味わえる町です。


また、古代から「 たたら製鉄 」が盛んな場所で、江戸時代後期から

明治時代頃までは、全国国内の半分以上の生産量を占めていたとされます。

当時の「 松江藩鉄師頭取御三家 」と呼ばれた、田部家(雲南市)・

櫻井家・絲原家(奥出雲町)の旧家住宅や博物館などもそのまま残っています。

たたら跡や集落跡など、観光客の絶えない町でもあります。




今回は、全身筋肉痛を予想しながらも・・・春の森林浴への欲望を抑えきれず、

奥出雲町・玉峰山へと向かいました。


 




 



 

平成26年 5月11日(日)午前9時30分から、

玉峰山:山開き安全祈願祭が執り行われ、

( 主催: 亀嵩観光文化協会 )



 




それに併せて、「 玉峰山 」(標高 820m)の登山会が行われました。
 

この季節は、「 しゃくなげの花 」も咲く頃で、これもこの季節の見所です。
( まだ少しだけ早かったかもしれません。これから・・・という感じです )


祈願祭を終えて、
( 地域の皆さんや遠くから来られている方々も沢山おられる様子です。)


皆さんと、ゆっくり登って行きます。




 





標高もそれほど高い訳ではありませんので、登山・・と言うよりは、


ご家族で歩ける、ハイキングコースと言った感じです。


奇妙な形の岩岩が点在し、各所にある様々な滝が見所の山です。

 






 最初に出没して来たのは、

 「 雄滝 」 (おだき) です。

 ( 雄がある・・と言う事は、
              雌もあるの?? )

 と心で思いながら
 次へ進みます。



 
 



    「 小窓岩 」

 この間をすり抜ける様に、登ります。

 中々、面白い!!


 

    「 小窓岩の反対側から 」



       「 屏風岩 」  

        「 風岩 」

  この隙間からは、風が吹き抜けていて、
  ほど良く登って来た我々には、
  涼しくて気持ち良い場所です。

 

頂上までは、ゆっくり歩けば1時間半くらいで到着します。
(本当にゆっくりとしたペースで登りました。)






   「 玉峰山 : 頂上です 」

  沢山の皆さんでしたので、
     座る場所も
  ありませんでした。
  ここでの昼食はあきらめ、
  迂回しながらの散策を続けて、
  進む事としました。




 
 


  「 頂上からのパノラマ 」

 絶景です・・・・。 
 さらに、最高な春日和。
 360°のパノラマが楽しめます。






 


6合目程度まで下山をした後、迂回路を廻りながら散策開始。








    「 かざし岩 」
 
  本当に、岩だらけの山です。





 

 



  それぞれの奇怪な岩岩には、

  小さなお地蔵様が置かれています。

  沢山のお地蔵様を観ながら進みます。

  山々では、奇妙な声や泣き声が聞こえます。

  オカルトではありませんよ。

  「 鳥 」 だと思うのですが、聞いた事の
  
  無い声です。

  それも声が大きい。




 

    「 糸滝 」

  と看板に書いてあります。

  なるほど・・・細い。
 

この山にある、数々の滝は飲用としても大丈夫です。

「 平成全国水源の森100選 」にも選ばれている様です。

本当に、綺麗な澄んだ水です。

 




 随分と山を下って着た先に、・・・・
 
 出た!!

 「 雌滝 」 (めだき)

 やはり、ありました。

 暗くて見難いですが、奥から滝が
  
 流れています。

 結構、神秘的で、「 おお~ 」

 と声が出ます。




 


この「 雌滝 」を見て、感動し満喫していた私は、この後にまだ続きがある・・・

とは、思っても見なかったので、この後の展開に・・・

思わず「 うそ~ 」と呟いてしまいました。



      
  「 子滝 」 (こだき)
 
    「 孫滝 」 (まごだき)


この滝は、既に孫まで居たのです。

雄滝 と 雌滝でロマンス的な完結を想像をしていた私は、びっくりしました。

勝手な想像の物語を創っていた、私が悪いのです。


とは言え、かれこれ3時間近く歩き続けています。

出発地点まで帰り、少し遅くなった昼食にしましょう。

玉峰山・・・とても見所沢山で冒険心をくすぐるコースですね。

おまけに、森林浴たっぷりです。



大変、面白かったですよ。

お子様達と共に、ご家族での散策ハイキングなど・・・お薦めです。

 
 


 昼食は、地元お薦めの
 
 「 奥出雲そば 」の販売品と

 地元の方々が、この日の為に

 調理してくださった、野山菜の

  天婦羅です。

 「 ん~~うまい。
  疲れた体に染みる~感じです。」



 





  ~ 映画ロケと酒蔵 ~

奥出雲町には、まだまだ沢山の見所があって、とても一編には御紹介出来ません。

今後、少しづつご紹介して行きましょう。

この町は、古き原風景や建造物・家屋などが沢山残っている事もあり、

数々の、映画やドラマなどのロケ地。としても有名です。


 

 
  映画
 
  「 砂の器 」  





(道の駅:奥出雲交流館「酒蔵」にて)



 
 



   映画

   「 私は貝になりたい 」
 



(道の駅:奥出雲交流館「酒蔵」にて)


 



玉峰山森林公園から下山して、車で少々進んだところに、

道の駅 : 奥出雲交流館 「 酒蔵 」があります。

当社とお取引の在る、【 奥出雲酒造株式会社 】様の酒蔵と併設した道の駅です。

奥出雲町では、ブランドで美味しいお米として有名な「 仁多米 」を使用した、

清酒「 仁多米 」(奥出雲酒造株式会社)を始めとして、

様々な、仁多米使用の加工品などが販売されています。

観光客が沢山に訪れています。


  


    清酒 「 仁多米 」

    奥出雲酒造株式会社


(道の駅:奥出雲交流館「酒蔵」にて)




 



次回またの機会に、奥出雲町での記事を掲載させて頂きます。 楽しみにお待ち下さい。

また、次回記事でお逢いしましょう。






 

   「 奥出雲酒造株式会社 」

     公式ホームページ

 
 
 
   「 奥出雲ごこち 」

   奥出雲観光協会
   奥出雲ごこち運営事務局
   公式ホームページ

 








・ 記事:編集:撮影:  山陰知名度向上委員会 (K)

・ 協力:        奥出雲ごこち(奥出雲観光協会)

・ 協力:        亀嵩観光文化協会

・ 協力:        奥出雲酒造株式会社










【 第7回 】 山陰知名度向上委員会

  【 2013年11月 】


   【 鉄器文化への開拓 】

 
 
  
【 旅伏山 & 韓竈神社 】        【 下編 】

  
  ( たぶしさん & からかまじんじゃ )



前編の・・・

旅伏山(たぶしさん)登山道入り口から、車で移動すること約15分程度。

次の目的地でもある、韓竈神社(からかまじんじゃ)へ向いました。

とてもパワーの強い神社として有名で、近年ではパワースポットとしても、

参拝者の絶えない神社となっています。

車5台程度、駐車可能の地道駐車場に車を停め。

参道を歩いて向います。

此処から先には民家も無い・・・場所になります。


 バス停を発見!!

 朝に1便。
 夕に1便。です。





清流が流れる脇の1本道を進みます。


車にも人にもすれ違う事も無く、

只、静けさだけが深まっていく中で、杉林の間をゆっくり歩きます。



聞こえるのは・・・川の流れる音だけ!
とても、神秘的な空間です。








 


 
 


      
廻りには、灯りも何も無い・・・ですから、

必ず、陽の明るいうちに向いましょう。

夕方から向かうのは危険です。(注意)



神社入り口の鳥居に到着。

 
 
     【 鎮座地 】 島根県出雲市唐川町字後野 四〇八番地


     【 主祭神 】 素盞鳴命(スサノオノミコト)





創立は不明ですが、

出雲国風土記では、(733年)韓銍社(からかまのやしろ)

延喜式神名帳では、(927年)韓竈神社(からかまのかみのやしろ)


と記されているようです。


       出雲国風土記が完成したのが、天平5年(733年)2月30日と

されています。  

つまり・・・それ以前より存在した非常に古い
古社となります。

あれっ?? 2月30日なんて・・昔はあったのか??

この疑問には、正倉院にある古文書によって、その存在は

確認されている様です。



 

主祭神である、素盞鳴命(スサノオノミコト)が御子神と共に
新羅(しらぎ)に
渡られ、

この地に、「 植林法 」や タタラ製法・鍛冶技術などの「 鉄器文化 」

を伝えられた。とされます。

竈(かまど)とも読みますが、この地にあった溶鉱炉を意味する・・・とも

朝鮮から渡来した「釜」を意味する・・・とも言われます。

また、前編で御覧頂いた「 斐伊川 」からは、多くの砂鉄が取れた事。

出雲北山山系が、産銅地帯とされ、金堀地区の地名や自然銅、野タタラ跡、

などが見られる事から、鉄器文化開拓への深い関係が伺えます。


〈 韓竈神社 宮司 佐々木 祐 ~「韓竈神社由来」の記~ より抜粋。 〉


 

火を燃やすには、沢山の材木が必用です。

鉄器文化遂行には植林法が切り離す事の出来ない、対の技術として必要だった訳です。


   
     詳しくは・・こちら 「 韓竈神社由来 」の記 PDF
  鳥居を抜けて、

  登ってみましょう!!
  古い石段が長く敷かれていますが、


  かなり急な勾配が続きます。



  最近なのでしょうが、
 片側にロープが張られています。

 これは・・・
 結構、助かります。

 足を滑らせ、転んでしまったら
 大変な事になりそうです。

 しっかりとしたシューズで
 登りましょう。

 石段もコケなどで、滑りやすく
 なっていますので、要注意。
 


    上に、登れば登る程、

  更に、道があるのか?
  ただの岩場なのか?

  判らなくなってきます。
  20分程度登ったでしょうか?
 そろそろ・・・頂上かな?
 でも神社は良く判らない・・・。

 メンバーの
 「 到着~~!! 」と
 声が聞こえました。
 
   


 「 よし・・・登りきった!! 」

 「 あれ? 行き止まりだ!! 」

と思った瞬間。
皆の声のする右を見ると・・・・。

 「 え~~?? 」
 
 「 こ・・・この間を抜けるの?? 」

 

この先に御本殿があります。
胸と背中を岩に擦りながら、何とか抜け出す事が出来ます。

( 結構、必死です。・・・)

本当に体の大きな方は、通り抜け出来ないかもしれません。
 
もちろん・・この隙間を抜けない限り、他に道はありません。
( 幅30cmちょっとくらい?? )


安産や子宝にとてもご利益がある・・・と聞いていました。
通り抜ける岩場が「 産道 」になぞられているからです。

どうやって、神社を建てたのでしょうね??

 



 

 


 
 岩の隙間。
 通り抜け道を上から撮影して
 見ました。

 (本当に狭い・・・)
 (あ・・・何か?落としている?)


荘厳な空気がいっぱいに漂う・・とはこの事なのか。
粛々と皆で手を合わせ。

「 ・・・合掌・・・。 」


そろそろ・・夕暮れになります。
下山しましょう。




 ~「 岩舟神話 」~

スサノヲノミコトが新羅より渡られる時に、乗って来られた・・とされる、
「 岩舟 」とした大きな岩があります。
大きな岩舟に乗り、この地に天降りたと伝えられています。
正門鳥居を右に見て、尚20m程度進んだ川沿いにその「 岩舟 」は存在します。


今回もまた、神秘的な空気が感じられる場所を御案内しました。
山陰にはこの様な場所がまだまだ沢山あるのです。

高く険しいけれど、荘厳で神々しい。 「 韓竈神社 」を御紹介しました。
また是非、行って見たいと思える場所です。 
 




それでは、また次回編でお逢いしましょう。

 

 

 【 しまねっこ 】

 【島観連許諾 第733号】
  
    出雲観光ガイド
  
   出雲観光協会公式ホームページ





 

  • 記事・編集・撮影  : 山陰知名度向上委員会 (K)
  •  
  • 画像撮影      : 山陰知名度向上委員会 (坂田)
  •  
  • 協力        : ㈱山陰日酒販登山同好会メンバー

 


 







  【 第6回 】 山陰知名度向上委員会

   【 2013年10月 】


 【 多夫志烽(たぶしのとぶひ) 】



  【 旅伏山 & 韓竈神社 】 【 上編 】

     ( たぶしさん & からかまじんじゃ )




平成25年9月某日。

今回は、当社の登山同好会(有志)が行う活動に、同行取材・・・と言う形で

素人の私(記者)も参加させて頂きました。

向かった先は、出雲北山山系の一つ。

旅伏山(たぶしさん)のトレッキングコースと

パワースポットとして有名な、韓竈神社(からかまじんじゃ)です。



さすがに紅葉にはまだ早いですが、トレッキング登山の季節がやって来ました。

島根県の島根半島で宍道湖と日本海を隔てる様に連なっているのが、北山山系です。

その西側である、島根県出雲市国富町(旧平田市)から登頂開始です。


            「 旅伏山 」( 標高458m )


奈良時代の出雲国にて一番標高の高い山であり、当時、麓まで入り込んでいた・・・

とされる「 宍道湖 」の湖を眼下に見下ろす様にそびえていたと考えられています。

その関係上、「 旅伏山 」は「 多夫志烽 」(たぶしのとぶひ)として

烽火台(のろしだい)としての役目を担っていたようです。

山頂は平らな台地となっていて、烽火(のろし)を管理する役人も常駐していた。

と考えられている様です。( 出雲国風土記 より )

古くには、山城もあり。 歴史ある山と言えます。


  ※ 烽火は、現代での携帯電話の様なもっとも速い連絡手段だったと思われます。

    烽火台は各所に設けられ、烽火から烽火で伝達され、敵の来襲などを

    より速く伝えられた事でしょう。

    中国名では「狼煙」(のろし)と書き、狼の糞を混ぜて燃やすと、

    真っ直ぐに立ち上る煙が出る・・・とされていた事から

    「 おおかみのけむり 」と書くようです。

    ( 本当に真っ直ぐに煙が立ち上るのか??・・は不明です )




さぁ~いよいよ出発です。

午前10時半頃登頂開始。

   〈 登山道入り口 〉

 入り口付近は整備されていて、
 車10台程度の駐車場に
 綺麗なトイレもあります。
 〈 登山道 〉

 横木の階段が続きます。
 間隔が一定で無いのと、
 傾斜はかなり急な気がします。
 
    9月中旬ですが、本日は気温が高く
 すでに汗で「 びっしょり 」です。
 早くも遅れ始めました。
  野生の鹿がたくさん生息している為、
 山にはネットやゲートまで
 設置してあります。
 麓の街まで降りてきて、
 交通被害などもあります。
 
〈 第1の鳥居 〉

 頂上付近にある神社の鳥居でしょうか。
 ずっと木々で覆われている山ですが、
 この辺りで初めて、外の高さを確認
 出来ます。
 少し・・・休憩。
 休憩中。

 切り株の上に林・・・??


 
  休憩中。

  気持ちの良い、こぼれ日。
〈 第2の鳥居 〉

 
 ここまで来ると、随分登って来た・・
 と言う気がします。
 でも・・まだまだ・・・です。

 


 


〈 都武自神社(つむじじんじゃ) 〉

 主祭神 : 速都武自和気命
    (はやつむじわけのみこと)

 風の神・風の守護神とされています。

 此処まで来ると頂上手前です。


   




 
    都武自神社裏手には、
 古井戸がありました。
 
冷たくて清んだ水でした。
 
      都武自神社の大樹。



  様ざまな花や木の実が
  見て取れる山です。

  季節には、「 八重桜 」も咲く様です。




 ついに ・・・ 山頂へ到着です。
 
 時間も丁度 ・・・・ お昼です。 皆で持参の弁当をひろげました。




 
 山頂には、綺麗な屋根とベンチがありました。
 持参のおにぎりが、大変美味しかったです。
  山頂より、
  南側に見えるのは、
  「斐伊川」(ひいかわ)です。
  出雲神話の舞台です。


北側には風力発電が、
数多く立っています。
下に見える港は、
「十六島港」でしょうか。
(うっぷるいこう)・・と読みます。




 「 斐伊川 」 の歴史。
 ご家族連れでも、気軽に安全に楽しめる
 トレッキングコースでした。
   
   最後に見上げる空には「 出雲八雲 」です。

 さぁ~今度は下山です。がんばろう。
 でも、もう足が ・・・・・・。

 しかし、
 今回の登山同好会の目的地は、もう一つ。
 これから、そちらへ向います。
 それは、次回号で投稿させて頂きます。
 お楽しみに。




 次回 「 下編 」 につづく。
  





  •  記事 ・ 編集 ・ 画像撮影  :  山陰知名度向上委員会 (K)
  •  
  •  画像撮影    : 山陰知名度向上委員会 (坂田)
  •  
  •  協力       : ㈱山陰日酒販登山同好会メンバー










    【 第5回 】 山陰知名度向上委員会

【 2013年 8月 】


【 湖を彩る風景 】


 

平成25年8月3日(土)~4日(日)の2日間。

山陰地方を代表する真夏の風物詩と言えば、 

『 松江水郷祭・湖上花火大会 』です。

2日間に分けて、合計9,000発の打ち上げ花火が
松江市・宍道湖上空、湖の夜空を彩ります。

 
  ↑  松江市公式ホームページ  

 

山陰地方としては、最大級ですが、全国的に比べても規模の大きなものではありません。
この湖上花火大会の最大の魅力は、規模ではなく、
湖と島と花火が交ざり合ったコントラスト。
ロケーションの素晴らしさ・・・と言われています。



会場は、「水の都・松江市」の象徴である『 宍道湖 』(しんじこ)が舞台です。
日本夕陽百選にも選定されています。

 日本一の夕景の美しさ。・・・と表現される程
 四季折々に様々な夕陽の美しさを、
 私達に提供してくれます。
 

 夕陽の落ちて行く方向は、出雲大社。

 凛としたその光は、
 ゆっくりと安らかな時間の中で
 消えて行きます。


 宍道湖畔・湖岸周りは
 総て公園になっています。

 湖畔に集まった沢山の人々は、
 午後7時過ぎから沈み往く夕陽を眺めてから、
 午後8時から始まる
 花火大会へと備えるのです。

※今年は、雲が多く・・・夕陽は・・・
残念でした。
   


2013年湖上花火大会の今年のテーマは《 神々の花火 》と題して企画されています。

1日目(8月3日)~「 宍道湖の夕日 」サブテーマ。
2日目(8月4日)~「 神々の集い 」サブテーマ。

として構成され、スターマイン(連続発射)を中心に
大玉打ち上げ・斜め打ち込み・尺玉連発・・・など。多彩に繰り広げられます。


        主催 松江水郷祭推進会議パンフレット





 
 
宍道湖に浮かぶ唯一の島。

『 嫁が島 』(よめがしま)を中心位置にして、2隻の大きな台船から打ち上げられます。

「 出雲国風土記 」には、『 蚊嶋 』(かしま)と言う呼称での記載が
あり、古代よりこの湖のシンボルとして美しい夕景の一躍を担っている島です。


※実は・・「嫁が島」へは、歩いて渡る事が出来ます。胸の高さ程度は
湖へ浸かりますけどね・・・。

《もちろん・・無許可では、絶対ダメです。とても危険です。》

毎年、「 NPO法人 水の都プロジェクト協議会 」の主催により
「 歩いて渡る嫁が島 」が企画されていますので、
興味の有る方は是非いかがでしょう?
ちなみに・・今年は8月3日(土)に行なわれました。
来年を目指して・・!!

     NPO法人 水の都プロジェクト協議会 パンフレット


8月3日(土)~8月4日(日)の両日は、松江市内の様々な場所で、
イベント・お祭が続き『 松江だんだんまつり 』として開催され、
例年、約38万人を越える人々で賑います。
コンサートなども開かれ、夜遅くまで賑やかです。

※だんだん・・・とは、方言で「ありがとう」の意味です。



湖岸で観る事が出来れば。
自分の直ぐ目の前や直ぐ頭の上で花火が爆発する様な感覚さえ感じるほどの迫力があります。
花火と言えば、お腹の奥まで・・ズドン・・と響く大きな音があって初めて、
興奮と感動を感じますが、今回は画像のみでじっくりとお楽しみ下さい。


【 2013年松江市水郷祭・湖上花火大会写真集 Ⅰ 】

 ※山陰知名度向上委員会メンバーによる奇跡の撮影画像集です。


   
   
   
   
   


宍道湖湖上花火大会の歴史は、昭和4年(1929年)に、
嫁が島の中にある竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)の例祭として
第1回が始まり、戦争による中断を経て再開し今に至るそうです。

毎年恒例ですが。・・終了間際5分~4分前からの・・連続花火・連続発射の乱れ撃ち・・
は圧巻で、息を吐く間も無い。とはこの事です。
今年も大成功に終わり。本当に良かったです。


   
   
   



今年は7月中旬以降~全国各地で、豪雨や雷雨が局地的に降り。
各地のお祭や花火大会にも影響が出た。・・と・・・ニュースで何度も報道されます。
島根県西部地区でも、今年7月28日には豪雨による大きな災害もあり、
悲しい事故となっています。


全国各地で行なわれる花火大会は、それぞれの規模は別にして 

~ 各地域やその町の発展を祈念して ~

打ち上げられるもの・・・と思います。
せめて年に一度だけ・・・真夏の夜の彩りあるこの風景は、毎年失くしたく無いものですね。


是非、全国各地の花火大会が成功に行なわれる事を《 神々の国 》から祈るばかりです。




【 写真集 Ⅱ 】






では、また次回の記事でお逢いしましょう。



     ※ 公益社団法人 島根県観光連盟
   ※ 国際文化観光都市
         松江市公式ホームページ
      ※ NPO法人 水の都プロジェクト協議会
     ※ 一般社団法人 松江観光協会
     ※ 松江市観光文化課





記事・編集 : 山陰知名度向上委員会(K)

画像・撮影 : 山陰知名度向上委員会 (坂田)・(秦本)・(K)

画像・協力 : 公益社団法人島根県観光連盟

      : 松江市

      : 松江市観光文化課

      : 一般社団法人 松江観光協会

      : NPO法人 水の都プロジェクト協議会        







 



【 第4回 】  山陰知名度向上委員会

 【 2013年 6月 】



【 出雲大社 】( いずもおおやしろ )  《 下編 》
            ※ 古来は(明治期以前)杵築大社(きずきおおやしろ)と呼ばれた。 

今回は・・・・。
平成25年5月10日(金)に無事 『 本殿遷座祭 』 が執り行なわれた、「 出雲大社・下編 」
お送り致します。
 
島根県松江市出身。日本男子テニス界のエース、錦織 圭(23)君がマドリード・オープンにて、
あの・・・世界王者。   ロジャー・フェデラーを破る金星を挙げた、翌日の地元紙は、
この出雲大社遷座祭の
ニュースで一面も三面も総て埋め尽くされた、5月10日・・・・!!。
(遷座祭記事の下に、小さく錦織くんの写真が掲載されていました。)


午後7時より、仮殿内から御神体(祭神・大国主命)を御輿(みこし)に乗せ、
御本殿へ御帰りになられました。


これから約1ヶ月間は、様々な「 奉祝行事 」が予定されています。
恒例祭事に加え、様々な祭事。 その上、伝統芸能やコンサート・大相撲など・・・・行なわれます。
 ( 神楽 ・ 能 ・ 狂言 ・ 舞楽 ・ 雅楽 ・ 流鏑馬 ・ などなど ・ ・ )
お好きな方には、たまらない行事です。
その後も10月頃までは、奉祝行事予定が様々にある様です。
リンク詳しくは
こちら。
 ※   出雲大社「平成の大遷宮」
   奉祝事業
実行委員会事務局



さて、前回の上編では、出雲大社本殿まで御参拝して頂きました。    
今回はその周辺を散策・・・・して見ましょう。


御本殿参拝を行なう、「 八足門 」(やつあしもん)。       
※ この門より先へは、通常立ち入る事は出来ません。




この八足門の石段の下には、古代神殿の柱発掘の跡があります。 西暦2000年に発掘発見され、
3本の巨木を一つに束ねて直径3mの柱を作り、その3本の柱を1本とした合計9本の柱で
巨大神殿が建っていた。・・・・・・
とされています。
その高さは推定で48mであったとされています。


    ※ 原寸大の模型が展示してあります






 


平安時代。970年(天禄元年)に源為憲(みなもとのためのり)によって著された「 口遊 」と言う
文献の中で、
日本国内の大きな建物ベスト3が記載されていて、「 雲太 ・ 和二 ・ 京三 」と
表されています。
〈一番〉  雲太 ~ 出雲太郎 ~ 出雲大社本殿
〈二番〉  和二 ~ 大和二郎 ~ 東大寺大仏殿
〈三番〉  京三 ~ 京都三郎 ~ 平安京大極殿
東大寺大仏殿の高さが当時およそ十五丈(約45m)であったとされ、出雲大社御本殿は
それよりも高い、
十六丈(約48m)の日本一高層建築であったとされています。
(現在の約・倍の高さ)
現在の24mも日本一の社殿建築とされています。

当時の高層本殿模型や発掘された柱などは、古代出雲歴史博物館に展示されています。
(是非、観て頂きたいですね)


※ 詳しくはこちら。
※ 島根県立古代出雲歴史博物館ホームページへ。

 
  

現代の世でもこの様な巨大高層社殿があったら・・・。恐ろしいほどに圧巻でしょう。

平安時代当時、どれほど出雲国が強大な力を持っていたのか・・・・
想像も付かない程のロマンを感じますね。


    模型所蔵 : 出雲大社
    画像提供 : 島根県立古代出雲歴史博物館


御本殿を挟んで、東と西には。「 東十九社 」(じゅうくしゃ)と「 西十九社 」が建ちます。
これは全国から来られる八百万の神々が宿泊される場所とされています。
旧暦10月は、全国の神々が御留守になるので「 神無月 」と呼びますが、
この出雲の地では、10月は「 神在月 」
(かみありづき)と昔から呼びます。
島根県東部地方では、ごく普通に「 かみありづき 」と言っています。
毎年11月23日頃から~11月30日頃まで、全国神々の会議「 神議(かみはかり) 」
が開催されます。

 
全国より神々がこの出雲の地に集合され、会議が行われるのです。
この期間だけ「 十九社 」の扉が開きます。


御本殿から小さな川(素鷲川)を挟んで進むと、「 神楽殿 」(かぐらでん)が建っています。
こちらでは、祭典や結婚式などが行なわれます。


この神楽殿に飾られている「 大注連縄 」(おおしめなわ)は
長さ13.5m・重さ約4.5t・太さ8mと

名前の通り、日本一の大きさを誇ります。

この大注連縄は、神様と人間界との境界を表しているとの事ですが、
この出雲大社の大注連縄は、
通常社殿の注連縄とは、逆向きに絞めてあります。

何故?そうなのか?・・・は、古代からの謎の様です。



 

 




神楽殿の前に立つ、国旗掲揚塔。 高さ47mあり、国旗の大きさは畳75畳分で、
これも日本一の大きさだそうです。




  つまり古代出雲大社御本殿は、この掲揚塔の高さ程に本殿があった。・・と言う事になります。
         (びっくりですね)

 (参考として)
     出雲国造様は、古来より北島国造家と千家国造家の二つ存在します。
※( 元々は一つでした )
出雲国造家の祖は天照大御神の第二子である天穂日命(あめのほひのみこと
有る事から、
天皇家と同じ祖となります。
( 第一子が皇室の祖となります。・・つまりは、兄弟と言う事ですね。)
現在の出雲国造様は第八十四代千家尊祐(せんげたかまさ)国造であり、
出雲大社宮司としておられます。



神楽殿から前の大きな通りへ抜けると、そこは「神迎の道」(かみむかえのみち)とされ、
「稲左の浜」や「弁天島」まで続きます。
※ 詳しくは、またの機会に掲載しましょう。
    この辺りは、老舗のそば店や和菓子店など古い佇まいのお店が並びます。

神迎の道を通り、もう一度「 勢溜の鳥居 」が立つ正門前へ行ってみましょう。
ここから真っ直ぐに続く、「 神門通り 」には沢山の、御土産店や甘味処。そば店やお食事処が
立ち並びます。
「 出雲蕎麦 」・「 出雲ぜんざい 」・「 鯖寿司 」などは有名ですね。



新しく、『 ご縁横丁 』と言う名の。
9店舗が軒を連ねるスポットが出来ています。
是非、帰りには立ち寄りたい場所になっています。

  ※ たくさんの人で賑わいます。


古代よりずっと時間が留まっているかの様な出雲大社境内の神域から、
一歩この神門通りに帰ると、古代から現代へ急激に
帰って来た気分にもなります。
参拝も済ませ、名物も食べて、御土産も買った所で、今回は帰る事にしましょう。


どうか皆さんも今年は、出雲大社参拝へ行って下さい。
新しく甦えられた大神様のパワーを感じて頂き、
たくさんの幸せのご縁が皆さんにも授かります様に・・・。
心より御祷り致します。


では、また次回編をお楽しみに。

 ※ 公益社団法人 島根県観光連盟



記事 ・ 画像 :            山陰知名度向上委員会 (K) ・ (H)
協力      :                公益社団法人 島根県観光連盟
                        出雲大社「平成の大遷宮」奉祝事業実行委員会事務局
                  島根県立古代出雲歴史博物館
                                                     出雲大社社務所




  
 
 
 

 

【 第3回 】 山陰知名度向上委員会

 

【 応援団御案内 】

     【 2013年 5月 】

   

 
第3回目となります今回は、このコーナーを楽しく応援して頂ける、キャラクターを

御案内します。

島根県・鳥取県・両県の公式マスコットキャラクターの御案内です。

今後は、このコーナーでの記事に、マスコットキャラクターが楽しく華を添えて頂けます。


 
   

         鳥取県公式マスコットキャラクタは~ !!

 【 鳥取県公式マスコットキャラクター 】
『  トリピー  』 と言います。

             【 トリピー 】
   



《 生年月日 》

1997年 7月 12日 (16歳!?)


《 出身地 》

鳥取県境港市 出身

( 山陰最大の漁港があります )



『 鳥 』のキャラクターイメージは、鳥取県の(県章)にもなっている。飛ぶ鳥のイメージと、

                  鳥取県の頭文字の 『 鳥 』からも来ています。
 
   体は、鳥取県の代表特産物である 『 20世紀梨 』のイメージで出来ています。



 
 
《 特技 》 

マラソン と スキー です。 ・・・ たぶん。


《 好きな事 》

温泉と海水浴と お祭です。 ・・・・ たぶん。




 謎が多いのも、魅力の一つでしょうか?? 



    【 20世紀梨 】
 
 
(水分が多く、とても瑞々しくて  
美味しいです)
 

 
     
                                                 
 
どうぞ、よろしくお願いします!!

【 トリピー 】
                                   
 

 
 
  

 ☆ 島根県公式
  
マスコットキャラクターは!!



『  しまねっこ  』 と言います。
   
 《 生年月日 》  不明
  【 島根県公式マスコットキャラクター 】
 《  性 別  》 不明
           【 しまねっこ 】
 《  出身地  》 島根県  ・・・・

のどこか??
           【島観連許諾 第733号】
《  性 格  》 とにかく・ひたすら・・

明るい!!
 
《 好きな食べ物 》

~ どんちっち あじ ~
 
  ※島根県浜田市 浜田漁港で水揚げされる、
鮮度・脂質にこだわった
( あじ )を干物にした物です

 浜田市水産物ブランド化戦略会議
(浜田市)推奨品です。

 
  

《  長 所  》 誰とでも直ぐに

仲良くなれる事。
 
 
                                                                       

                                             
 
『 猫 』 をイメージした

キャラクターです。

幸福を招く猫 ・・・だとか !??

発する言葉の最後には、

必ず 「 にゃ~ 」と付きます。

頭の上に乗せているのは、

縁結びの神・ 福神として名高い。

ご存知 「 出雲大社 」
(いずもおおやしろ)

の御本殿・大屋根 

を頭の上に乗せています。



   
       【 しまねっこ 】
 
       【島観連許諾 第733号】  


もちろん首のマフラーは、拝殿に掛けられている日本最大級の大注連縄(おおしめなわ)です。

体型を見れば解りますが、動きはゆっくりです。


『 2012年 ゆるキャラ・グランプリ 』 で堂々の 【 6位 】 でした。


平成25年5月からは、《 出雲大社 平成の大遷宮 》が予定されていますので、

『 しまねっこ 』は大忙しです。

どうぞ、応援よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

< しまねっこへのファンレター送り先 >

 

 

    

690-8501  

 

 

 

 

島根県松江市殿町1番地観光振興課内

 

 

 

 

(社)島根県観光連盟 しまねっこ あて

 

 

 

 

 

 

 

                  


 

   
   最近では、TV・CMでも

  ひっぱりだこ・・だにゃ~


      【島観連許諾 第733号】
 







今回は、そんな二人(?)・二匹(?)・二体(?)の御紹介をさせて頂きました。

今後も、『 トリピー 』 と 『 しまねっこ 』がこのサイトの所々で、

出没するでしょうが。

どうぞ、よろしくお願いします。


 ※ (社団法人)島根県観光連盟
 


                                     記事  :  山陰知名度向上委員会(K)

                                     協力  :  鳥取県文化観光局

                                                                        :  (社)島根県観光連盟

                                             :  鳥取県未来づくり推進局


             

 





【 第2回 】山陰知名度向上委員会

【 2013年 5月 】



【 出雲大社 】
( いずもおおやしろ ) 《 上編 》

  

今回御紹介するのは、 ホームページトップをいつも飾っている。

 

   皆様良くご存知の 『 出雲大社 』 です。

         ※ 縁結びの神様・福の神様として有名です。
 

 

平成25年5月10日(金)から行なわれる、〈 本殿遷座祭 〉(ほんでんせんざさい)に向けて、

およそ60年に1度の 〈 大遷宮 〉(だいせんぐう)が進められています。

遷宮とは、本殿の改修・修造に合わせて御神体や御神座を移すことです。

※《 出雲大社本殿は国宝の為、建替えは行なわれません。 》


平成20年に 〈 仮遷宮 〉 を行なってから約5年を掛けて、今年5月10日に
新しくなった御本殿へ御遷りになります。

この遷宮により、神様はより一層パワーアップされ、地域や人々にも
甦りのパワーが頂ける・・・・との事です。

出雲の地は日頃より、パワースポットの地として多くの観光客で賑わいますが、
今年5月以降のパワーは
絶大なのでは? ないでしょうか。

 

最終的に、この「 平成の大遷宮 」の総ての修復作業は、平成28年春頃までの8年間に渡る、

御修造になる予定です。


 

60年に1度と言うタイミングは、人に置き換えると60歳(還暦)、
還暦とは生まれたときに還ると言う意味があるそうです。

 

 

今年、平成25年の秋には、三重県 【 伊勢神宮 】 においても、第62回目の 
〈 神宮式年遷宮 〉が行なわれます。

出雲大社と伊勢神宮。 日本を代表する二つの神社で、遷宮が重なるのは、
過去に数回ほど・・・と聞きました。

   (前回・・重なったのは、昭和28年、丁度60年前だそうです)


そんな記念すべき今年は、出雲大社と伊勢神宮へ出向いて見ては如何でしょうか?

 

さて、出雲大社へ戻りましょう・・・。

主祭神 は 「 大国主大神 」(おおくにぬしのおおかみ)

日本最古の歴史書 「 古事記 」にも、その創建が記してあるほどの古社です。

「 古事記 」による、国譲りの神話によると、 大国主大神(出雲大社)が
高天原の天照大御神(伊勢神宮)の子孫に国を譲った。

その時に造営された社が、出雲大社の始まり・・とされている様です。

  (とても簡単に略しました。)


この「 古事記 」・「 日本書紀 」・「 出雲国風土記 」などの古代歴史書は、
この山陰地方の古代歴史を尋ねるには、
欠かす事の出来ない繋がりが何度も、
様々な場所で出て来ます。

とても我々、素人には難しいので、少しずつ勉強をして記載させて頂きます。


 

出雲大社の御遷宮の歴史を調べると、西暦659年・斉明天皇5年に
修復の初見記録がある様です。
そんな、長い歴史を繰り返し。

近代では、 「 明治御遷宮 」は(1881年)明治14年  
               ※ 絵図が残されています。

        「 昭和御遷宮 」は(1953年)昭和28年  
               ※ 貴重な写真が多く残されています。

そして今年(2013年)平成25年に『 平成の大遷宮 』が行なわれるのです。


まずは、とにかく・・・出雲大社を参拝してみましょう。

まずは、吉兆館・ご縁広場駐車で、
  車を駐車。

  ( 駐車場は、幾つかあります。
                  基本無料です。 )

 最初に目に付く、モニュメント。

 出雲国の成り立ち「国引き神話」を
  モチーフにした、
大きな
モニュメントが目印です。


 さあ~出発。

 全部で4つの鳥居をくぐって進みます。

 

〈一〉

一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)
(うがばしのおおとりい)


大正4年(1915)に寄進された
大鳥居です。

高さ23mで額の大きさは、畳6畳分
との事です。

柱の直径は2mです。

   


そのまま、「神門通り」をゆっくり
歩きます。

御土産店が立ち並んでいます。

途中、右手には、「一畑電車・出雲大社
前駅」があります。

昭和5年に建てられた、国の登録文化財
に指定されています。

駅舎の中で、ステンドグラスからの光を
二人で浴びると

“ 結ばれる ”・・・・との事ですよ。


    近隣駐車場が大渋滞・道路も
大渋滞。・・が良くあります。

少し離れた場所に車を停めて、
この一畑電鉄に乗って来る。
・・・のも一つの方法です。













  日本最古級の電車 [ デハニ50形 ] 展示です。  


〈二〉

二の鳥居 勢溜の大鳥居
(せいだまりのおおとりい)

大勢の人が集まり、人の勢いが溜まる
ことから、

“勢溜”と呼ぶ様です。

出雲大社正門になります。

此処から先は、出雲大社境内の神域に
入ります。

そのまま、大変珍しい。「下り参道」
を歩きます。

神社での下り参道は全国でも珍しい
そうです。




参道を下ると、「 祓社 」
(はらえのやしろ)

が右手に
現れます。

本殿参拝前に、この社で心身の汚れを祓い清める。

これは、ルールです。




〈三〉

三の鳥居(松の参道の鳥居)

ここからは、松の参道が続きます。

1630年に松江藩主から奉納された
松並木です。

 

    決して、参道の中央を歩いては
なりません。

これもルールです。

四の鳥居の前には、「手水舎」
(てみずや)が現れます。


〈作法〉

ひしゃくで、左手~右手の順に清めます。

次に、ひしゃくから少し左手に水を
受けて、
口に含みます。

最後に残った水を、ひしゃくを立てて
柄の部分に流して、

次の方に渡します。





〈四〉


四の鳥居(銅の鳥居)

銅製の鳥居としては、日本で最も古い
鳥居だそうです。

1667年に毛利綱広による寄進
だそうです。



さぁ~いよいよ目の前に現れたのは、
〈 拝殿 〉です。

現在(写真)は大遷宮前ですので、
〈 御仮殿 〉となります。

大国主大神は、現在こちらにおられます。


では、参拝しましょう。

 

〈参拝のルール〉

お祈りは、二礼四拍手一礼です。

心の中で、自分の住所・名前を言った後、
ご挨拶をします。

その上で、お願い事をして下さい。

まずは、自分が誰か?
名乗る事から始まります。


 

上記写真と撮影日が違います。


御仮殿(拝殿)の後ろに、聳え立つのが、

「 御本殿 」(国宝)です。

 

既に(4月末)の段階で、御本殿は
御披露目されています。

高さ24m。古式神社建築〈 大社造 〉
(たいしゃづくり)

を現代に伝えています。

御本殿大屋根の
〈 檜皮葺 〉(ひわだぶき)の
葺き替えが
終わっています。

面積約180坪。 厚さ約1m。 
約64万枚の檜皮。

膨大な量の檜皮が葺き替えられています。
とても綺麗ですよ。

 

御本殿の銅版には、色鮮やかな(鬼板)・
(千木)・(勝男木)

が目を引きます。

明治時代の修繕方で、松ヤニやエゴマ油を
主成分とした

「ちゃん塗り」と呼ばれる塗装方が
施されています。

 

この御本殿で、もう一度参拝致しましょう。

それでは・・・・ご参拝!!






皆様に、それぞれ深い御縁が有ります様に~・・・。

今回の出雲大社《上編》はここまでとします。           

       

次回、《下編》でお逢いしましょう。

                                                           
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【第1回】 山陰知名度向上委員会


   【 2013年 3月 】



このコーナーでは、山陰地方(島根県・鳥取県)の風景や歴史遺産。

又は、食や文化などを少しづつでも御紹介して行こうと思います。

古の昔より、自然と人が調和を計り、神々が集いし国とされて来ました。

しかし21世紀の現代。山陰地方は全国でも有数の知名度の低い地方となっています。

新しく創られる物と古き良き物を受け継いでいる。

そんな山陰地方(島根県・鳥取県)の魅力を御覧の皆様へ発信して行きます。

【場所?】

さて、第1回目の今回は、山陰地方(島根・鳥取両県)の 『 場所 』・・・・。
皆さん、日本の何処に在るか?? 分かりますか~??


日本の中でも知名度がかなり低いと思われる【 山陰地方 】。 

今回は『 場所 』を覚えて頂きましょう。

山陰地方と言う語源は、古代の律令制(大宝律令)からなる『 五畿七道 』から、

現代まで繋がっている地域名です。

日本海側が『 山陰 』 ・ 瀬戸内海側が『 山陽 』と呼ばれます。




上記の地図を御覧頂くとお解かりの様に、中国地方とは5県の地域呼称名です。

その中で、左上に在るのが『 島根県 』右上に在るのが『 鳥取県 』になります。

この山陰両県の『 場所 』。 知名度の低さ故か「 どこだっけ?? 」「 どちらがどちら? 」などと

言われる事も多々在ります。

本日、この記事を読まれた方はもう大丈夫!! 是非、周りの方にもお教え下さい。「左上」が島根県。 

「右上」が鳥取県なんだ!・・・・と。そんな知られざる【 山陰地方 】のトピックを今後も楽しく発信して行きます。



                    
 
 

                                                                                          記事 :  山陰知名度向上委員会( K )・( I )
                                                                                          画像 :  社団法人島根県観光連盟

                                               鳥取県未来づくり推進局