【 第12回 】 山陰知名度向上委員会
【 八雲風穴 】 ( やくもふうけつ )
【 小さな不思議な避暑地 】 島根県出雲市佐田町朝原。 「 八雲風穴 」は寺院「 福泉坊 」のすぐ隣にあり、 パワースポットでも有名な、佐田神社近郊にあります。
「 天然クーラー 」「 天然の冷房 」と書かれてあった事に目を引かれ、 ふらふら~と導かれる様に向かって行ったのです。
台風が近づいている影響か、朝から直ぐに30℃を超え、 日中に至っては、35℃も越えています。 「 暑い!! 」「 暑いなんてもんじゃない・・・!! 」
深い山々を車で程なく走ると、「 八雲風穴 」に到着しました。 ※ 予想以上に来場者の人々の多さに、ビックリ・・・しました。
およそ約500年前、「 寺院福泉坊 」開山当時から、冷風を発する地域として、 「 清涼山 」と呼ばれていたようです。 太古の昔、約1500万年前頃のこの辺りがまだ海だった頃に、 火山爆発で海中に流出した溶岩が急速に冷やされて堆積(たいせき)して山となり、 現在の地形になったと言われているようです。 その岩と岩との間を流れる空気の対流により、風穴から冬季の冷えた外気を吸い込み、 地下の岩石が冷却されます。 春から夏にかけてその冷却された空気が、岩の隙間から地表に流れ出す為と言われています。 〈 風穴の利用 〉 明治36年頃、穴を掘り石垣を築く。 年間を通して地上では10℃前後、地下層で5℃前後と温度変化が少ない事から、 一時貯蔵庫として利用されてきた様です。
昭和初期 ~ 国有林の樹種の保存。 昭和中期 ~ お茶の保存。 昭和後期 ~ 林産物集出荷施設として、地域の特産物を保存。
※ 今回入場した際には、地元地酒清酒が保存してありました。
■入場料 中学生以上 200円 小学生 100円 一度入場料を支払えばその日一日は、何回でも入場・退場が可能です。 ■開園期間 ゴールデンウイーク 7月中旬頃から ~ 9月中旬頃まで。 ■開園時間 午前9:00 ~ 午後17:00まで。 ■定休日 期間中は無休。 ■駐車場 無料駐車場あり。
~ 追記 ~
■ 記事・編集・画像 : 山陰知名度向上委員会(K) ■ 文献参考 : 八雲風穴公式ホームページ ■ 参考 : 出雲観光協会
■ 【 平成29年 8月 】
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【 第11回 】 山陰知名度向上委員会
【 一畑寺 】 ( いちばたじ ) 【 霊験あらたかな薬師寺 】
島根半島中央部、一畑山の標高200m程山上に位置します。 昔より、医王山としてあり。 「 目の御薬師様 」 ・ 「 子供の健康無事成長の仏様 」として 地元では、「 一畑薬師 」(いちばたやくし)と呼ばれる大変有名な薬師寺です。
※ クリックすると大きくなります。
山陰地方だけでは無く、全国各地から沢山の方が参拝されている様です。 地元では、子供が生まれると 「 二歳児詣り 」と「 四歳児詣り 」を行う風習が色濃く残っていて、 実際に、私も・・・そして私の子供も・・・お詣りさせて頂きました。
皆さんがお詣りするのも人情でしょうね。 そろそろ今度は、孫を連れて・・・、 お詣りに来る事になりそうなので、久しぶりに登ってみました。
・出雲十大薬師霊場 第1番 ・ 出雲國神仏霊場 第3番 ・出雲観音霊場 特別札所 ・ 中国観音霊場 第26番 ・百八観音霊場 第31番 麓から本堂までの道のりは、約1,300段余りの石段(参道)を登ります。 毎年10月頃には、この石段を含めたマラソン大会も開催されていて、 この時期の一畑寺の風物詩ともなっています。 ※ クリックすると大きくなります。 特に下りは、滑って転びそうになりますので要注意です。 しかし。
山頂まで続く、車道と大きな駐車場もありますので・・・車で行けます・・・ご安心を。
※ 古参道入り口。 ※ 1,300段程続く。 11月の後半に入り、すっかりと紅葉の景色になりました。 一日一日と冬に向けての気配と香りが致します。
「 一畑 」と言う名の由来は、この地の地名で薬草畑の番号とされています。 大畑・中畑・小畑・薬師畑・後畑・・・などの地名も残っており、 古くから薬草畑での薬の栽培が盛んであったとされています。
「 一畑 」で栽培されるお茶の葉と、薬師堂の井戸から汲み上げられた御霊水で 「 お茶湯 」(おちゃとう)と言われるお茶を頂く事が出来ます。 「 徳利 」にお茶を入れて、500円で持ち帰る事も出来ます。 お土産にどうぞ。
〈 一畑寺の縁起 〉
創開は、平安時代 寛平6年(西暦894年)とされています。 千百年以上の歴史があります。 過去の領主である、尼子家・毛利家・京極家・松平家と それぞれに関わりがあり、寺領の寄進をされたとの事です。
その後、昭和3年には一畑口から北松江駅(現在の松江しんじ湖温泉駅)まで開通されました。 この電車は、現代の平成時代にも現役で利用されていて、「 一畑電車 」として 市民の足として活躍しています。 この「 一畑電車 」は映画などでも有名ですが、電車ファンにも有名で、 線路脇での写真撮影など・・・沢山の方がカメラを持って構えておられますよ。 話が逸れましたが、
ある漁の日、海から金色に輝く薬師如来を引き上げます。 そのまま与一は自分の家に安置して、礼拝していました。 そのうち不思議なことが相次いで起こり、夢で薬師如来のお告げを受けます。 「 あなたの信仰心の深さを示すため、あの百丈が滝から跳び降りなさい。母親の眼は治ります。 」 与一はお告げ通りに、千把の藁(せんばのわら)を身に纏い跳び降ります。 気が付くと与一は大きな石の上に安座しており、怪我一つありません。 身を案じて無我夢中で駆け寄った母親の目は、しっかりと見開いていたという事です。
( 出雲観光ガイド記事参照 )
昔話には、事実はどうあれ・・・何か?・・・を後世に伝えようとしている事があります。 現代では、世界中の「事実」のみが一瞬で見聞きする事が出来ます。 そして、「事実」のみを綺麗に保存して置く事も出来ます。 現代の生活の中では、昔話や御伽話などを見聞きする機会はあまりありません。 この与一の昔話は、何を?伝えようとしたのでしょうね?。 一人一人の「 想い 」によって違うのでしょう。
その後与一は、比叡山延暦寺に出家し、「 補然 」(ほねん)と名を改め「 医王寺 」として お寺を開きました。 千百年余りも続く「 一畑寺 」の始まりとされています。
※ 一畑寺(一畑薬師本堂)全容。 自身や家族の健康を願う気持ちは、変わらないのですね。
※ 山上からの景色。 ~ 追記 ~ 平成28年 10月 21日(金) 午後2時7分頃。 鳥取県中部を震源とする、マグニチュード6.6と推定される地震が発生しました。 鳥取県倉吉市などを中心に、様々な被害が発生しました。 一ヵ月余りが過ぎても、屋根にブルーシートが張られている民家は沢山見受けられます。 年末も近づき・・・。本格的な冬も近づいています。 一刻も早い完全復興を心より願っております。
県外の皆様には何も心配は要りませんので、是非、山陰各地への観光を楽しむために
それではまた・・・次回記事でお逢いしましょう。
■ 記事・編集・画像 : 山陰知名度向上委員会(K) ■ 文献参考・協力 : 出雲観光協会 ■ 参考 : 公益社団法人 鳥取県観光連盟
■ 【 平成28年 11月 】
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【 第9回 】 山陰知名度向上委員会
本殿裏にある入山事務所で、2回目のチェックを受けます。 ワラジ(藁草履)に履き替えされる方もおられる様で、販売しています。 此処で、 「 六根清浄 」と書かれた 「 輪袈裟 」(わげさ)を肩から掛けて、出発です。
「 役 小角 」 像を発見!! ~《 役小角 》(えんのおづの) 尊称(役行者) ~ 舒明天皇6年(634年) - 大宝元年(701年)(伝) 飛鳥時代から奈良時代の呪術者。 大和国(現在の奈良県御所市)に生まれたとされ、修験道の基礎を築いたとされます。 実在の人物ですが、人物像は後世の伝説によるところが大きく、その生涯は伝承により 伝えられた人物です。 正式な古歴史書に登場するのも、没100年後以降頃のものと考えられています。 ■「鬼神を使役することが出来、水を汲ませたり、薪をとらせたりした。 もし鬼神が彼の命に従わなければ、彼らを呪縛した。」 (前鬼・後鬼を従えた絵像が有名) ■「流刑先の伊豆諸島より、毎晩海上を歩いて富士山へと登って行った。」 (富士山麓の御殿場市にある青龍寺を建立したとされる) など、伝説的な部分が長く伝承されている様です。
此処まで来ると、修行の道ももう僅かです。
いよいよ「 三徳山 」開山1300年の歴史を物語る、頂上です。 日本建築史上他に類を見ない特異な建造物と言われます。 正面・側面共に入り口らしき物は無く、 崖伝いに堂の床下を潜って、背面から縁に這い上がるとされています。 もちろん一般の立ち入りは禁止されていて、 この写真の位置から拝見するだけです。 修験道の開祖「 役小角 」がその法力で、建物ごと平地から投げ入れた。 とされる伝説から、「 投入堂 」の名称が付いたとされています。 正面幅 5.4m、 奥行幅 3.9mとされ、 現存する神社本殿形式の建築物では、日本最古級であると証明されています。 現在は、鳥取県主導により「ユネスコ世界遺産」への登録を目指して活動を されています。 可能な限り早く、登録される事を心より願っております。 国宝:重要文化財 「 投入堂 」(なげいれどう)・・・その姿です。 近くへ行けば行くほど、崖が急勾配になっていて、立ってはいられません。 写真を撮るにも、座り込んで撮影しました。 正に、「日本一危険な国宝」と言う他無いですね。 真っ先に思うのは、やはり・・ 「 当時、どうやってこのお寺を建てたの?? 」・・・です。 総てが、伝承による語り継ぎでしか判っていないこの「投入堂」。 それはこのまま、謎は謎のまま、 この先の時代にも伝承により長く繋いで頂きたいものです。 「 投入堂 」まで到達すると・・・「 総ての邪念が無くなる 」などの 話を聞いていましたが。・・・さて?さて?・・・。 下山する事にしましょう。 登りより下りの下山が余程危険ですから、相当に注意下さい。 ~ 追記 ~ 今年、三徳山三佛寺本堂では、 慈覚大師円仁千百五十遠忌 ・ 三朝温泉開湯八百五十年記念 ・ 国立公園三徳山指定記念などを記念して、 平成26年7月18日(金)~10月18日(土)まで。 秘仏とされる「 阿弥陀如来 」像を特別一般公開されていました。 運良く我々は、その期間中に参拝出来ました事は、 大変貴重で、大変運が良かったです。 本堂正面には 「 千二百年間 二度目の秘仏開扉中 」と書かれていました。 凄いですね・・・千二百年の間で、二度目ですよ・・・!!。 これを聞いて悔しがる方々へ朗報です。 平成26年10月26日(日)~ 平成27年1月18日(日)までの間、 「 観音堂 」のご本尊とされる、「 十一面観世音菩薩 」像の 特別一般公開が行われています。 次は、何千年先になるか・・・判りませんよ。 行くなら今だ!!。
~ 三朝温泉 ~ ここまで来て、三朝温泉に寄って行かない理由はありません。 三朝温泉開湯850年記念の下期イベントとして、 2015年3月までは、様々なイベント企画がある模様ですよ。 この秋から冬に掛けて、一押しの湯治場です。 チェックして置きましょう。 もちろん我々も、三朝温泉&食事を楽しんで帰宅しましたよ。
それではまた・・・次回記事でお逢いしましょう。 ■ 記事・編集・画像 : 山陰知名度向上委員会(K) ■ 画像・協力 : 山陰日酒販登山同好会 ■ 記事・協力 : 三朝町役場企画観光課情報発信室 ■ 記事・協力 : 三朝温泉観光協会 : 三朝温泉旅館共同組合 ■ 【 平成26年 10月 】 |
【 第8回 】 山陰知名度向上委員会 【 奥出雲・玉峰山 】
(このHP記者も冬眠からやっとゴソゴソと動き出しました。) 今回訪れましたのは、島根県奥出雲町の「 玉峰山森林公園 」です。
自然のままの原風景が多く残り、清清しい森林浴が各所で味わえる町です。
平成26年 5月11日(日)午前9時30分から、 ( 主催: 亀嵩観光文化協会 )
この季節は、「 しゃくなげの花 」も咲く頃で、これもこの季節の見所です。
頂上までは、ゆっくり歩けば1時間半くらいで到着します。 (本当にゆっくりとしたペースで登りました。)
6合目程度まで下山をした後、迂回路を廻りながら散策開始。
この山にある、数々の滝は飲用としても大丈夫です。 「 平成全国水源の森100選 」にも選ばれている様です。 本当に、綺麗な澄んだ水です。
この「 雌滝 」を見て、感動し満喫していた私は、この後にまだ続きがある・・・ とは、思っても見なかったので、この後の展開に・・・ 思わず「 うそ~ 」と呟いてしまいました。
この滝は、既に孫まで居たのです。 雄滝 と 雌滝でロマンス的な完結を想像をしていた私は、びっくりしました。 勝手な想像の物語を創っていた、私が悪いのです。 とは言え、かれこれ3時間近く歩き続けています。 出発地点まで帰り、少し遅くなった昼食にしましょう。 玉峰山・・・とても見所沢山で冒険心をくすぐるコースですね。 おまけに、森林浴たっぷりです。 大変、面白かったですよ。 お子様達と共に、ご家族での散策ハイキングなど・・・お薦めです。
~ 映画ロケと酒蔵 ~ 奥出雲町には、まだまだ沢山の見所があって、とても一編には御紹介出来ません。 今後、少しづつご紹介して行きましょう。 この町は、古き原風景や建造物・家屋などが沢山残っている事もあり、 数々の、映画やドラマなどのロケ地。としても有名です。
玉峰山森林公園から下山して、車で少々進んだところに、 道の駅 : 奥出雲交流館 「 酒蔵 」があります。 当社とお取引の在る、【 奥出雲酒造株式会社 】様の酒蔵と併設した道の駅です。 奥出雲町では、ブランドで美味しいお米として有名な「 仁多米 」を使用した、 清酒「 仁多米 」(奥出雲酒造株式会社)を始めとして、 様々な、仁多米使用の加工品などが販売されています。 観光客が沢山に訪れています。
次回またの機会に、奥出雲町での記事を掲載させて頂きます。 楽しみにお待ち下さい。 また、次回記事でお逢いしましょう。
・ 記事:編集:撮影: 山陰知名度向上委員会 (K) ・ 協力: 奥出雲ごこち(奥出雲観光協会) ・ 協力: 亀嵩観光文化協会 ・ 協力: 奥出雲酒造株式会社 |
【 第7回 】 山陰知名度向上委員会 【 2013年11月 】 【 鉄器文化への開拓 】 ( たぶしさん & からかまじんじゃ ) 前編の・・・ 旅伏山(たぶしさん)登山道入り口から、車で移動すること約15分程度。 とてもパワーの強い神社として有名で、近年ではパワースポットとしても、 参拝者の絶えない神社となっています。 車5台程度、駐車可能の地道駐車場に車を停め。 参道を歩いて向います。
清流が流れる脇の1本道を進みます。 車にも人にもすれ違う事も無く、 只、静けさだけが深まっていく中で、杉林の間をゆっくり歩きます。 とても、神秘的な空間です。
必ず、陽の明るいうちに向いましょう。 夕方から向かうのは危険です。(注意)
創立は不明ですが、 出雲国風土記では、(733年)韓銍社(からかまのやしろ) 延喜式神名帳では、(927年)韓竈神社(からかまのかみのやしろ)
※ 出雲国風土記が完成したのが、天平5年(733年)2月30日と されています。 あれっ?? 2月30日なんて・・昔はあったのか?? この疑問には、正倉院にある古文書によって、その存在は 確認されている様です。
主祭神である、素盞鳴命(スサノオノミコト)が御子神と共に を伝えられた。とされます。 竈(かまど)とも読みますが、この地にあった溶鉱炉を意味する・・・とも 朝鮮から渡来した「釜」を意味する・・・とも言われます。 また、前編で御覧頂いた「 斐伊川 」からは、多くの砂鉄が取れた事。 出雲北山山系が、産銅地帯とされ、金堀地区の地名や自然銅、野タタラ跡、 などが見られる事から、鉄器文化開拓への深い関係が伺えます。 〈 韓竈神社 宮司 佐々木 祐 ~「韓竈神社由来」の記~ より抜粋。 〉 火を燃やすには、沢山の材木が必用です。
この先に御本殿があります。
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【 第6回 】 山陰知名度向上委員会 【 2013年10月 】 【 多夫志烽(たぶしのとぶひ) 】 【 旅伏山 & 韓竈神社 】 【 上編 】 ( たぶしさん & からかまじんじゃ ) 平成25年9月某日。 今回は、当社の登山同好会(有志)が行う活動に、同行取材・・・と言う形で 素人の私(記者)も参加させて頂きました。 向かった先は、出雲北山山系の一つ。 旅伏山(たぶしさん)のトレッキングコースと パワースポットとして有名な、韓竈神社(からかまじんじゃ)です。 さすがに紅葉にはまだ早いですが、トレッキング登山の季節がやって来ました。 島根県の島根半島で宍道湖と日本海を隔てる様に連なっているのが、北山山系です。 その西側である、島根県出雲市国富町(旧平田市)から登頂開始です。
奈良時代の出雲国にて一番標高の高い山であり、当時、麓まで入り込んでいた・・・ とされる「 宍道湖 」の湖を眼下に見下ろす様にそびえていたと考えられています。 その関係上、「 旅伏山 」は「 多夫志烽 」(たぶしのとぶひ)として 烽火台(のろしだい)としての役目を担っていたようです。 山頂は平らな台地となっていて、烽火(のろし)を管理する役人も常駐していた。 と考えられている様です。( 出雲国風土記 より ) 古くには、山城もあり。 歴史ある山と言えます。 ※ 烽火は、現代での携帯電話の様なもっとも速い連絡手段だったと思われます。 烽火台は各所に設けられ、烽火から烽火で伝達され、敵の来襲などを より速く伝えられた事でしょう。 中国名では「狼煙」(のろし)と書き、狼の糞を混ぜて燃やすと、 真っ直ぐに立ち上る煙が出る・・・とされていた事から 「 おおかみのけむり 」と書くようです。 ( 本当に真っ直ぐに煙が立ち上るのか??・・は不明です ) さぁ~いよいよ出発です。 午前10時半頃登頂開始。
ついに ・・・ 山頂へ到着です。 時間も丁度 ・・・・ お昼です。 皆で持参の弁当をひろげました。
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【 第5回 】 山陰知名度向上委員会 【 2013年 8月 】 【 湖を彩る風景 】 山陰地方を代表する真夏の風物詩と言えば、 『 松江水郷祭・湖上花火大会 』です。 2日間に分けて、合計9,000発の打ち上げ花火が 松江市・宍道湖上空、湖の夜空を彩ります。
この湖上花火大会の最大の魅力は、規模ではなく、 湖と島と花火が交ざり合ったコントラスト。 ロケーションの素晴らしさ・・・と言われています。 会場は、「水の都・松江市」の象徴である『 宍道湖 』(しんじこ)が舞台です。 日本夕陽百選にも選定されています。
2013年湖上花火大会の今年のテーマは《 神々の花火 》と題して企画されています。 1日目(8月3日)~「 宍道湖の夕日 」サブテーマ。 2日目(8月4日)~「 神々の集い 」サブテーマ。 として構成され、スターマイン(連続発射)を中心に 大玉打ち上げ・斜め打ち込み・尺玉連発・・・など。多彩に繰り広げられます。
『 嫁が島 』(よめがしま)を中心位置にして、2隻の大きな台船から打ち上げられます。 「 出雲国風土記 」には、『 蚊嶋 』(かしま)と言う呼称での記載が あり、古代よりこの湖のシンボルとして美しい夕景の一躍を担っている島です。 ※実は・・「嫁が島」へは、歩いて渡る事が出来ます。胸の高さ程度は 湖へ浸かりますけどね・・・。 《もちろん・・無許可では、絶対ダメです。とても危険です。》 毎年、「 NPO法人 水の都プロジェクト協議会 」の主催により 「 歩いて渡る嫁が島 」が企画されていますので、 興味の有る方は是非いかがでしょう? ちなみに・・今年は8月3日(土)に行なわれました。 来年を目指して・・!!
8月3日(土)~8月4日(日)の両日は、松江市内の様々な場所で、 イベント・お祭が続き『 松江だんだんまつり 』として開催され、 例年、約38万人を越える人々で賑います。 コンサートなども開かれ、夜遅くまで賑やかです。 ※だんだん・・・とは、方言で「ありがとう」の意味です。 湖岸で観る事が出来れば。 自分の直ぐ目の前や直ぐ頭の上で花火が爆発する様な感覚さえ感じるほどの迫力があります。 花火と言えば、お腹の奥まで・・ズドン・・と響く大きな音があって初めて、 興奮と感動を感じますが、今回は画像のみでじっくりとお楽しみ下さい。 【 2013年松江市水郷祭・湖上花火大会写真集 Ⅰ 】 ※山陰知名度向上委員会メンバーによる奇跡の撮影画像集です。 宍道湖湖上花火大会の歴史は、昭和4年(1929年)に、 嫁が島の中にある竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)の例祭として 第1回が始まり、戦争による中断を経て再開し今に至るそうです。 毎年恒例ですが。・・終了間際5分~4分前からの・・連続花火・連続発射の乱れ撃ち・・ は圧巻で、息を吐く間も無い。とはこの事です。 今年も大成功に終わり。本当に良かったです。 今年は7月中旬以降~全国各地で、豪雨や雷雨が局地的に降り。 各地のお祭や花火大会にも影響が出た。・・と・・・ニュースで何度も報道されます。 島根県西部地区でも、今年7月28日には豪雨による大きな災害もあり、 悲しい事故となっています。 全国各地で行なわれる花火大会は、それぞれの規模は別にして ~ 各地域やその町の発展を祈念して ~ 打ち上げられるもの・・・と思います。 せめて年に一度だけ・・・真夏の夜の彩りあるこの風景は、毎年失くしたく無いものですね。 是非、全国各地の花火大会が成功に行なわれる事を《 神々の国 》から祈るばかりです。 【 写真集 Ⅱ 】 では、また次回の記事でお逢いしましょう。
記事・編集 : 山陰知名度向上委員会(K) 画像・撮影 : 山陰知名度向上委員会 (坂田)・(秦本)・(K) 画像・協力 : 公益社団法人島根県観光連盟 : 松江市 : 松江市観光文化課 : 一般社団法人 松江観光協会 : NPO法人 水の都プロジェクト協議会
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【 第4回 】 山陰知名度向上委員会 【 2013年 6月 】 【 出雲大社 】( いずもおおやしろ ) 《 下編 》
※ 古来は(明治期以前)杵築大社(きずきおおやしろ)と呼ばれた。 今回は・・・・。
平成25年5月10日(金)に無事 『 本殿遷座祭 』 が執り行なわれた、「 出雲大社・下編 」
をお送り致します。 島根県松江市出身。日本男子テニス界のエース、錦織 圭(23)君がマドリード・オープンにて、
あの・・・世界王者。 ロジャー・フェデラーを破る金星を挙げた、翌日の地元紙は、
この出雲大社遷座祭のニュースで一面も三面も総て埋め尽くされた、5月10日・・・・!!。 (遷座祭記事の下に、小さく錦織くんの写真が掲載されていました。)
午後7時より、仮殿内から御神体(祭神・大国主命)を御輿(みこし)に乗せ、 御本殿へ御帰りになられました。 これから約1ヶ月間は、様々な「 奉祝行事 」が予定されています。
恒例祭事に加え、様々な祭事。 その上、伝統芸能やコンサート・大相撲など・・・・行なわれます。
( 神楽 ・ 能 ・ 狂言 ・ 舞楽 ・ 雅楽 ・ 流鏑馬 ・ などなど ・ ・ )
お好きな方には、たまらない行事です。
その後も10月頃までは、奉祝行事予定が様々にある様です。
さて、前回の上編では、出雲大社本殿まで御参拝して頂きました。
今回はその周辺を散策・・・・して見ましょう。
御本殿参拝を行なう、「 八足門 」(やつあしもん)。
※ この門より先へは、通常立ち入る事は出来ません。 この八足門の石段の下には、古代神殿の柱発掘の跡があります。 西暦2000年に発掘発見され、
3本の巨木を一つに束ねて直径3mの柱を作り、その3本の柱を1本とした合計9本の柱で
巨大神殿が建っていた。・・・・・・とされています。 その高さは推定で48mであったとされています。
平安時代。970年(天禄元年)に源為憲(みなもとのためのり)によって著された「 口遊 」と言う
文献の中で、日本国内の大きな建物ベスト3が記載されていて、「 雲太 ・ 和二 ・ 京三 」と 表されています。 〈一番〉 雲太 ~ 出雲太郎 ~ 出雲大社本殿
〈二番〉 和二 ~ 大和二郎 ~ 東大寺大仏殿
〈三番〉 京三 ~ 京都三郎 ~ 平安京大極殿
東大寺大仏殿の高さが当時およそ十五丈(約45m)であったとされ、出雲大社御本殿は
それよりも高い、十六丈(約48m)の日本一高層建築であったとされています。 (現在の約・倍の高さ) 現在の24mも日本一の社殿建築とされています。
当時の高層本殿模型や発掘された柱などは、古代出雲歴史博物館に展示されています。
(是非、観て頂きたいですね)
現代の世でもこの様な巨大高層社殿があったら・・・。恐ろしいほどに圧巻でしょう。 想像も付かない程のロマンを感じますね。
御本殿を挟んで、東と西には。「 東十九社 」(じゅうくしゃ)と「 西十九社 」が建ちます。
これは全国から来られる八百万の神々が宿泊される場所とされています。
旧暦10月は、全国の神々が御留守になるので「 神無月 」と呼びますが、
この出雲の地では、10月は「 神在月 」(かみありづき)と昔から呼びます。 島根県東部地方では、ごく普通に「 かみありづき 」と言っています。
毎年11月23日頃から~11月30日頃まで、全国神々の会議「 神議(かみはかり) 」
が開催されます。 全国より神々がこの出雲の地に集合され、会議が行われるのです。
この期間だけ「 十九社 」の扉が開きます。
御本殿から小さな川(素鷲川)を挟んで進むと、「 神楽殿 」(かぐらでん)が建っています。
こちらでは、祭典や結婚式などが行なわれます。
この神楽殿に飾られている「 大注連縄 」(おおしめなわ)は 名前の通り、日本一の大きさを誇ります。 この大注連縄は、神様と人間界との境界を表しているとの事ですが、 何故?そうなのか?・・・は、古代からの謎の様です。
つまり古代出雲大社御本殿は、この掲揚塔の高さ程に本殿があった。・・と言う事になります。
(びっくりですね)
(参考として)
※ 出雲国造様は、古来より北島国造家と千家国造家の二つ存在します。
※( 元々は一つでした ) 出雲国造家の祖は天照大御神の第二子である天穂日命(あめのほひのみこと)で
有る事から、天皇家と同じ祖となります。 ( 第一子が皇室の祖となります。・・つまりは、兄弟と言う事ですね。)
現在の出雲国造様は第八十四代千家尊祐(せんげたかまさ)国造であり、出雲大社宮司としておられます。 神楽殿から前の大きな通りへ抜けると、そこは「神迎の道」(かみむかえのみち)とされ、
「稲左の浜」や「弁天島」まで続きます。 ※ 詳しくは、またの機会に掲載しましょう。 ※ この辺りは、老舗のそば店や和菓子店など古い佇まいのお店が並びます。
神迎の道を通り、もう一度「 勢溜の鳥居 」が立つ正門前へ行ってみましょう。
ここから真っ直ぐに続く、「 神門通り 」には沢山の、御土産店や甘味処。そば店やお食事処が
立ち並びます。 「 出雲蕎麦 」・「 出雲ぜんざい 」・「 鯖寿司 」などは有名ですね。
新しく、『 ご縁横丁 』と言う名の。
9店舗が軒を連ねるスポットが出来ています。
是非、帰りには立ち寄りたい場所になっています。
古代よりずっと時間が留まっているかの様な出雲大社境内の神域から、
一歩この神門通りに帰ると、古代から現代へ急激に帰って来た気分にもなります。 参拝も済ませ、名物も食べて、御土産も買った所で、今回は帰る事にしましょう。
どうか皆さんも今年は、出雲大社参拝へ行って下さい。
新しく甦えられた大神様のパワーを感じて頂き、
たくさんの幸せのご縁が皆さんにも授かります様に・・・。 心より御祷り致します。
では、また次回編をお楽しみに。
出雲大社社務所
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【 第3回 】 山陰知名度向上委員会 【 応援団御案内 】
《 生年月日 》 1997年 7月 12日 (16歳!?) 《 出身地 》 鳥取県境港市 出身 ( 山陰最大の漁港があります ) 『 鳥 』のキャラクターイメージは、鳥取県の(県章)にもなっている。飛ぶ鳥のイメージと、 鳥取県の頭文字の 『 鳥 』からも来ています。 体は、鳥取県の代表特産物である 『 20世紀梨 』のイメージで出来ています。
※ (社団法人)島根県観光連盟
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【 第2回 】山陰知名度向上委員会
今回御紹介するのは、 ホームページトップをいつも飾っている。 皆様良くご存知の 『 出雲大社 』 です。 平成25年5月10日(金)から行なわれる、〈 本殿遷座祭 〉(ほんでんせんざさい)に向けて、 およそ60年に1度の 〈 大遷宮 〉(だいせんぐう)が進められています。 遷宮とは、本殿の改修・修造に合わせて御神体や御神座を移すことです。 ※《 出雲大社本殿は国宝の為、建替えは行なわれません。 》 平成20年に 〈 仮遷宮 〉 を行なってから約5年を掛けて、今年5月10日に この遷宮により、神様はより一層パワーアップされ、地域や人々にも 出雲の地は日頃より、パワースポットの地として多くの観光客で賑わいますが、 最終的に、この「 平成の大遷宮 」の総ての修復作業は、平成28年春頃までの8年間に渡る、 御修造になる予定です。
60年に1度と言うタイミングは、人に置き換えると60歳(還暦)、 今年、平成25年の秋には、三重県 【 伊勢神宮 】 においても、第62回目の 出雲大社と伊勢神宮。 日本を代表する二つの神社で、遷宮が重なるのは、 (前回・・重なったのは、昭和28年、丁度60年前だそうです) そんな記念すべき今年は、出雲大社と伊勢神宮へ出向いて見ては如何でしょうか? さて、出雲大社へ戻りましょう・・・。 主祭神 は 「 大国主大神 」(おおくにぬしのおおかみ) 日本最古の歴史書 「 古事記 」にも、その創建が記してあるほどの古社です。 「 古事記 」による、国譲りの神話によると、 大国主大神(出雲大社)が その時に造営された社が、出雲大社の始まり・・とされている様です。 (とても簡単に略しました。) この「 古事記 」・「 日本書紀 」・「 出雲国風土記 」などの古代歴史書は、 とても我々、素人には難しいので、少しずつ勉強をして記載させて頂きます。 出雲大社の御遷宮の歴史を調べると、西暦659年・斉明天皇5年に 近代では、 「 明治御遷宮 」は(1881年)明治14年 「 昭和御遷宮 」は(1953年)昭和28年 そして今年(2013年)平成25年に『 平成の大遷宮 』が行なわれるのです。 まずは、とにかく・・・出雲大社を参拝してみましょう。
上記写真と撮影日が違います。
皆様に、それぞれ深い御縁が有ります様に~・・・。 今回の出雲大社《上編》はここまでとします。 次回、《下編》でお逢いしましょう。
しまねはじまり通り |
【場所?】 さて、第1回目の今回は、山陰地方(島根・鳥取両県)の 『 場所 』・・・・。 記事 : 山陰知名度向上委員会( K )・( I ) 鳥取県未来づくり推進局 |